体育祭翌日の昼過ぎ、轟から駅で待っていると連絡があり
は急いで向かった。お母さんと長い間会っていなかっただろうから話すことがたくさんあるだろうし夕方あたりまで連絡はこないだろうと予想していたのでまさかこんなに早いとは思わず。自分と会う約束もあったために気を使わせてしまったのかもしれないと心配したが、駆け寄る気配に気付き向けられた彼の顔は昨日までよりずっとすっきりしているように見えた。
「轟くんおまたせ~!」
「
……せっかくの休みに悪いな」
「むしろ休みに轟くんに会えて嬉しいよ~!」
「…おお、」
「どうしよっか、行きたいとこある?」
「いや、話せるならどこでもいい」
どこかお店に入るのも考えたが、できるだけ静かで落ち着いて話せるところが良いという轟の希望により2人はしばらく歩いて近くの河川敷まで移動した。途中で購入した飲み物を手に並んで芝生へ腰を下ろす。そよそよと吹く風に耳を動かし、気持ち良いと微笑んでいる
を横目で見て轟も小さく笑みを零した。クラスの男子陣は常々彼女のことをふわふわしている癒し系、見ていると和む等と評しているのだが、轟もそれは同感である。入学初日に声をかけられてから何かと話すことがあり、積極的に交流を図るタイプではない自身が自らお昼に誘うくらいには
の雰囲気を気に入っていた。仲が良いのは誰だと問われれば一番に思い浮かぶのは恐らく彼女だろう。傍にいると落ち着く、そんな彼女だからか、話す必要性は特にない自分のことを聞いてほしいと思ったのは。
「―――…
、改めて、聞いてくれるか」
ぽつぽつと、口を開く。体育祭のあの時よりも細かく、静かに。No.1の座を渇望する父とその期待を全身に受ける自分と、囚われ続けた母。兄姉や周りの子供たちとは"違う世界"で、強くなるためだけに父との修行が繰り返される日々。雄英に入って、現れたオールマイトによく似た力を持ちオールマイトに目をかけられているように見える緑谷という存在。赦せない父と記憶の中で泣き続ける母の事しか頭に無かった。だから体育祭で、父の力である炎を戦いでは使わずに緑谷に勝たなければならないと思った。その緑谷に"君の力"だと言われ、あの一瞬父のことを忘れ、ヒーローになりたいという純粋な気持ちだけになり自分がどうすればいいのか、どうすることが正しいのかが分からなくなってしまった。"なりたい"ヒーローになるには、自分だけが吹っ切れるだけじゃだめだ。未だ囚われている母を救け出し、清算しなくてはならない。そして今日、やっと母に会って話すことができた。
「お母さんは、泣きながら謝って…笑って赦してくれた」
少し先で流れる川の水面を見つめながら語っていた轟は話し終え一息吐き、
の方を見て内心ぎょっとする。ずっとこちらを向いていたであろう彼女はいつの間にかぽろぽろと大粒の涙を零していた。声を漏らさぬようにするためか下唇を巻き込み、ふるふると小さく震える姿にどうしていいか分からず飲み物を地面に置いて無意味に手を動かす轟。そんな彼に
の涙が更に溢れる。
「うあ~ごめん!泣くつもりなかったけど無理だった!」
「いや、大丈夫か?…悪いこんな話、」
「ちがう!話してくれて嬉しいよ!」
嬉しいんだよ、と言うも止まらない涙に轟はぽんぽんと
の頭を撫でた。ちゃんと話を聞いて、轟をすごいと思ったのだ。考えても仕方のないことだが自分なら、ここまでやってこれなかっただろう。父への恨みで何も見えなくなっていたと話していたが、本当にそうならこの短い付き合いで見た彼の笑顔があんなに優しいものか。
を気にかけてくれるものか。それでも確かに今の轟は、これまでよりずっと良い顔をしている。キッカケになれた緑谷がすごい、そして少し羨ましいと思った。という内容を嗚咽混じりに伝えてくる
。
「轟くん…よかったね…!!」
「……おお、」
「緑谷くんも、すごいなあ…」
「……」
「私も…キッカケになりたかったって思っちゃった」
「
、」
「だって今の轟くん、前よりずーっと素敵なんだもん」
そのキッカケになれるなんてとても光栄なことだろう、なんて涙に濡れた眼ではにかむものだから、たまらなくなった。
「俺は、お前もキッカケの一つだと思ってる」
「え?私何もしてないよ~…」
「いや…」
緑谷のように、無茶苦茶なやり方で衝撃があったわけではないが。今までそこまで他人と関わってこなかったというのに、雄英で彼女に出会ってからは取り留めのない話をしたり一緒にご飯を食べたり一緒に帰ったり。そんなことを
とは何の違和感もなくできていた。緑谷と直接話そうと思ったのも彼女の言葉があったからだ。緑谷からのキッカケを、得るキッカケになったのは
だろう。それを聞いた
が本当に嬉しそうに笑うから、体育祭の時には見られなかった彼女の尻尾がぴんと、真っ直ぐ上に伸びるから。胸がきゅっとなって轟は衝動的にその身体を引き寄せていた。
「わっ」
「わりィ……ちょっとだけ、」
「…うええ~~轟くんっ本当によかった~!!」
「ふっ…また泣くのかよ」
「うわああん体育祭のとき怖い顔してたからあ~~!!」
「それは…ごめん」
「ぐす……轟くん、なりたいヒーローになろうね」
「…ああ」
泣きながら背中に手を回しぎゅっと抱き返してくる彼女に、つられて轟の頬にも一筋の涙が静かに零れる。そして届くかどうか分からない声で、ありがとうと呟いた。
轟の話が終わった後
が落ち着くまでその場でのんびり過ごした2人は夕方頃に解散した。その次の日はゆっくりと身体を休め、今日が体育祭振りの登校日だ。登校中の生徒たちは観ていた周囲の人たちからだいぶ声をかけられたり視線を集めていたようで、A組の子たちも例外ではなく朝から囲まれ若干お疲れらしい。
は電車通学ではないし体育祭にも参加していなかったのであまり注目されなかったがそれでも雄英の制服を着ているだけで反応があったくらいだからテレビに映ったクラスメイトは相当だっただろう。そのことで皆盛り上がっていたがチャイムが鳴ると同時に静まり、教室に入って来る相澤を迎えた。
「おはよう」
「相澤先生包帯取れたのね 良かったわ」
「本当だ!先生良かったあ~!」
「婆さんの処置が大ゲサなんだよ」
「んなもんより今日の"ヒーロー情報学"ちょっと特別だぞ」と目元を触りながら話す相澤は、蛙吹の言うようにもう顔も手も包帯が取れていて
も安堵の声を漏らす。
「「コードネーム」 ヒーロー名の考案だ」
「胸ふくらむヤツきたああああ!!」
特別という言葉に一部生徒がテストでもあるのかと不安を抱いたがそれぞれのヒーロー名を考える時間と分かった途端、皆両手を伸ばし立ち上がるほど喜んだ。相澤の鋭い視線に一瞬で収まったが。何故今ヒーロー名を仮とはいえ決めるのかというと、体育祭前に話題になったプロからのドラフト指名というものに関係してくるらしい。指名が本格化するのは2、3年からだが1年も将来性に対する"興味"が指名という形で送られてくる。例年は適度にそれぞれ指名数がバラけるようだが黒板に発表された結果はずいぶん偏っており、特に目立っていた轟と爆豪が他を圧倒していた。
「だ―――白黒ついた!」
「見る目ないよねプロ」
「1位2位逆転してんじゃん」
「表彰台で拘束された奴とかビビるもんな…」
「ビビッてんじゃねーよプロが!!」
あの爆豪はたしかにすごかったなと
は思い出し小さく笑う。そして当然だが表記されていない自分の名にだらんと尻尾が下がった。続く相澤の話によるとこれを踏まえ指名の有無関係なく所謂職場体験なるものに行くとのこと。プロの活動を実際に体験しより実りのある訓練をしようということで、皆のヒーロー名の考案につながるようだ。
「まァ仮ではあるが適当なもんは…」
「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」
相澤の言葉を遮りミッドナイトが登場した。ここで付けた名が世に認知されそのままプロ名になっている人が多いと話しながら教卓へ進む。彼女は皆のヒーロー名のセンスを査定するために呼ばれたようで、相澤は自らそういうのは出来ないと言い寝袋を取り出した。どうやらこの時間はミッドナイトにすべて任せ自身は仮眠を取るつもりらしい。そうして始まった考案タイム、フリップが配られ各々頭を抱えたりサラサラと書いてみたりして15分ほどが過ぎた。「出来た人から発表してね!」の言葉に一同がざわつく。発表形式とはなかなか度胸がいるなと多くが戸惑う中、軽い足取りで教卓に向かう一番手は青山だった。
「輝きヒーロー"I can not stop twinkling."」
「短文!!!」
勢いよく掲げられたフリップに周りがツッコミをいれたが、ミッドナイトは真面目に「そこはIを取ってCan'tに省略した方が呼びやすい」とアドバイスしていた。そして続く二番手は芦戸。
「じゃあ次アタシね!エイリアンクイーン!!」
「2!!血が強酸性のアレを目指してるの!?やめときな!!」
「ちぇー」
青山とは違い却下をくらった芦戸は口を尖らせ席へ戻るが、他の生徒はそれどころではない。初っ端から変なのが来たせいで大喜利っぽい空気になったと冷や汗を垂らす。皆尻込みしているが、蛙吹が手を挙げた。
「小学生の時から決めてたの フロッピー」
「カワイイ!!親しみやすくて良いわ!!」
皆から愛されるお手本のようなネーミングと評され、一気に変わった空気に"フロッピー"コールが沸き起こる。流れに乗り切島も前へ出た。
「んじゃ俺!!烈怒頼雄斗!!」
「「赤の狂騒」!これはアレね!?漢気ヒーロー"紅頼雄斗"リスペクトね!」
「そっス!だいぶ古いけど俺の目指すヒーロー像は"紅"そのものなんス」
名を継いだり、切島のように憧れの名を背負うというのは相応の重圧がついてまわる。覚悟の上だとはっきり言い切る彼によく似合う名前だなと
は一人頷いた。そして切島の後は誰もすぐには前に出なかったので
が手を挙げる。「ユキヒョウちゃんどうぞ!」とミッドナイトが手招きするのでタタッと早足で教壇に立った。
「イルビス ロシアなどでのユキヒョウの呼び名です」
「あら良い響きね!カワイイ!!」
「名は体を表す!ピッタシじゃん!」
「マジなんか、不思議と
って感じすんな」
「えへへ、ありがとう~」
ミッドナイトからもクラスメイトからも好い反応をもらえ、
はにこにこと大きく尻尾を振りながら席へ戻る。まだ数人考えているようだったが、そこからは割とテンポよく次々と進んだ。
の後に耳郎が出て、"ヒアヒーロー・イヤホン=ジャック"と発表。障子が"テンタコル"、瀬呂が"テーピンヒーロー・セロファン"、尾白が"武闘ヒーロー・テイルマン"、砂藤が"甘味ヒーロー・シュガーマン"。リベンジの芦戸が"ピンキー"で落ち着き、上鳴が"チャージズマ"、葉隠が"ステルスヒーロー・インビジブルガール"、八百万が"万物ヒーロー・クリエティ"。そして静かにフリップを教卓に乗せる轟は。
「焦凍」
「名前!?いいの!?」
「ああ」
フリップには"ショート"と書かれていたがこのクラスでは初めての名前そのままがヒーロー名だった。いつもの感情が読めない顔で席に戻って来る轟に
は「轟くんらしくていいね!」と微笑む。
「焦凍って名前かっこいいもんねえ」
「……そうか?」
「うん!個性とも合ってるし!」
「
も、似合ってる」
「わあ、ありがとう!嬉しい~!」
2人がこそこそと話してる間にもどんどん進んでいき、常闇が"漆黒ヒーロー・ツクヨミ"、峰田が"モギタテヒーロー・グレープジュース"、口田が"ふれあいヒーロー・アニマ"、麗日が"ウラビティ"となった。途中爆豪が"爆殺王"と出していたがミッドナイトにより「そういうのはやめた方が良いわね」と瞬殺されていた。そして、再考の爆豪と未発表の飯田、緑谷が残る。だいぶと悩んでいたようだが、いつもは元気にはきはきとしている飯田は珍しく俯き加減で"天哉"と轟と同じく名前で発表した。その様子に
は首を傾げる。そのことについて考える前に緑谷が前に立ちフリップを見せ、書かれていた"デク"の文字に意識を持っていかれてしまう。今までは好きではなかったというその名前をある人に意味を変えられて嬉しかったから、これが僕のヒーロー名ですと小さく笑って言う緑谷に素敵なことだと
もつられて笑った。一先ずほぼ全員のヒーロー名が決定し考案タイムが終了。ちなみに爆豪は2つ目の"爆殺卿"も却下され保留となったのだった。
ヒーロー名考案の授業後、相澤より職場体験は一週間行われ指名があった者はその中から、指名のなかった者は雄英が予めオファーした受け入れ可の事務所40件から職場を選び週末までに提出するようにと言われた。皆それぞれリストを見ながらどこにするか悩んでいる。峰田はMt.レディのところで即決したようで、蛙吹から「やらしいこと考えているわね」と突っ込まれていた。麗日も強くなるため指名があったバトルヒーロー・ガンヘッドの事務所に決めたらしい。耳に入る情報を聞きつつリストに一通り目を通す
。麗日と同じく強くなるのは必須だが自分の個性を活かせるのはやはり山岳系の救助だろうからその系統の事務所があればいいなと思う。目指すものの経験か、目の前の目標である肉体強化か。どれを求めていくか決めあぐねていた
は放課後相澤に職員室へ来るようにと言われた。
「失礼します…相澤先生…」
「ああ、来たか こっち来い」
「はい…私何かしましたか…?」
「安心しろ、説教じゃない」
「ほっ」
呼び出しを受け、心当たりはないが何かやらかしてしまっただろうかと心配していたのだが怒られるわけではないと分かり胸を撫で下ろす。ぺたんと下を向いていた耳がぱっと上がるのを相澤はガン見しながら紙を差し出した。
「これ…?」
「何故か届いたお前への指名だ 2件ある」
「えっ!?」
「それを確認したくてな 片方はまだ解るが…」
体育祭に参加していない
に指名がくるのはおかしな話なのだが一番上にオファー
宛と書かれているそれは間違いなく彼女に向けてだった。2つ縦に並んで表記されている事務所名。1つは確かに相澤の言う通り
も納得ができる。縄を操るクライムヒーロー・ローパー。両親が相棒をしていた事務所のヒーローだ。当然娘である
のことも知っているので体育祭は関係なく指名してくれたのだろう。
も彼のことは頭に浮かび、40件の事務所にその名が無かったので肩を落としていたところだ。問題はもう1つの方。ローパーの下にはエンデヴァーヒーロー事務所の名がある。
「エンデヴァー!?」
「ああ 知り合いか?」
「し、知り合いというほどでは?両親とは現場で会ったことがあるって、」
「話したのか」
「体育祭のときにほんの少し…」
「なるほどな」
思いもよらぬ事に紙を受け取った状態で固まっている
。恐れ多いし理由もまったく分からないが指名自体は嬉しいし有難い。何の活躍も見せていないのだから有難過ぎるくらいである。教室で考えていた、目指すものをまま経験できるのはローパーのところだろう。しかしNo.2ヒーローの事務所となればどんな活動をしているのか、それを間近で見ることができるのはとても心が惹かれる。職員室であることも忘れてうんうん唸る
に、相澤が立ち上がりその頭に手を乗せた。
「どちらを選んでもお前の身になるのは間違いない」
「はい…」
「あと二日、よく考えてみろ」
「はい!ありがとうございます!」
「それと、体育祭の時の弁当ありがとうな」
「あっお口に合いましたか?」
「ああ、美味かった」
会話が止まっても頭を撫で続ける相澤。USJでの一件以来、包帯ぐるぐる巻きだったせいで撫でようと思ったときにできなかったため正直今とても堪能している。無言で撫でられ一瞬ぽかんとしていた
だがすぐに気持ち良さそうに目を瞑り喉を鳴らし始めた。それに無意識で頭から手を下ろし顎を撫でる。口角を上げ幸せそうにしている姿はまさしくネコ科のそれだった。
「……いや、イレイザー絵面がヤバイ」
「セクハラ」
「生徒に手出すなよ…」
周囲の声にハッと手を離す相澤と名残惜しそうに目を開ける
。
「すまんやりすぎた」
「気持ちよかったです~…先生上手だあ」
「すまんやりすぎた」
「エッ大丈夫ですよ!?」
「悪い」
止まない野次をスルーして弁当の礼だと手のひらサイズの箱を渡し「気を付けて帰れよ」と職員室から
を出す。他の教員から今度は自分にも撫でさせてと声をかけられそれに笑顔で答えていたが相澤が扉を閉めたことにより強制的に止められた。とりあえず帰ろうと遠くなる職員室から先ほど一番相澤を揶揄っていたプレゼント・マイクのものと思わしき悲鳴が聞こえてきたが、もらった箱の中身を確認するとチョコレートが詰められておりそれに心奪われた
は音符が見えそうなほどご機嫌で学校を後にした。職場体験まで、あと少し。