それは瞬間的な出来事だった。まだ個性が発現する前の幼い爆豪が両親と山登りへ行ったときのこと。それほど高い、険しい山ではなかったと子供の記憶ながらに思う。舗装された綺麗な道ではなかったが登山コースとして利用する者は多いのだろう、歩くべきところは目に見えて分かるようになっていたし、日差しが木々で遮られ涼しさを感じるくらいだった。とはいえ山頂を目指すには上に行くにつれ急な坂道も度々あったし楽なわけでもなかった。
「結構キツいねー!」
「けど半分はとっくに越してるしもうすぐ天辺だよ」
「勝己大丈夫?」
「ヘーキ!」
途中のベンチで少し休憩したり、水分補給をしつつ順調に山道を進んでいく。時折かけられる母からの声に元気良く返し、実際爆豪はまだ余裕があった。足元と前に注意しながら周りの景色によそ見できる程度に。風に揺れる葉や鳥などの鳴き声、流れる汗。目と耳と肌、色んな感覚が刺激され、全身で山を満喫していた。そうやって自然に包まれ楽しんでいた爆豪家の意識を突如悲鳴が攫う。離れた、上の方から降ってくるその叫びは女性のものだった。何だ、と父母も辺りを見回し3人同時にそれを見つける。爆豪と同じ年頃の子が崖とも言える急斜面を落ちていくではないか。「あっ」と思わず皆声を出すが当然助けに行けるわけもなく、母は口を手で覆い、父も爆豪も動きを止めた。登山マップを見た時上に行くほど道は細く歩きにくそうなところが多くなっていたし、足を滑らせてしまったのだろうか。確認できる限りでは落ちた先は川になっている。助かったとしても無事では済まない。幼い爆豪にもそう感じられた。もうだめだ、とその子の保護者であろう女性の悲痛な叫びを聞きながら反射的に目を瞑りかけた時。
「、あ」
下から斜面を駆け登る影が子供を背中で受け止めた。随分素早く動いていたそれは真っ白な生き物だった。器用に尻尾を使って子供を安定するように乗せそのまま上まで一気に登っていく豹のような模様の動物を、爆豪は瞬きもせず見つめる。太陽の光を受けキラキラと輝く毛並みが、美しかった。子供への心配が消えてしまうほど爆豪にとって衝撃的で、もう姿は見えなくなってしまったが思い浮かべるだけで頬が上気する。
「すごい…」
勿論父と母も見ていた。子供を救けた生き物の後を、服を着て人間のように登っていく同じ豹のような姿をした者も逃さず。爆豪は先に行った方に夢中で追いかけて行った者に意識が向かなかったが、両親はニュースで見かけた姿と照らし合わせる。服を着ていた方はスノーレパードというヒーローだろう。ということは子供を救けたのは彼の血縁者だろうか。何にせよヒーローが行ったならもう安心だ。お互いに顔を見合わせ頷き、自分たちの大切な子供を見下ろす。
「勝己、手繋ごうか」
「…うん」
万が一に備えそこからは両親に挟まれ手を繋いで山頂を目指しその後何の問題も無く無事山登りを終え家に帰ったのだが、後半の道中爆豪はほとんど上の空だった。頂からの景色に感動はしたがそれ以上にあの輝く白が忘れられないのだ。父に頼みネットで検索してもらったところ子供を救けたのはユキヒョウという動物らしい。何度も記憶の中の姿と画像を比べたが尻尾の太さからして一般的に豹と呼ばれるものではない。爆豪は覚えてないがユキヒョウの個性を持つヒーローがそばにいたことからも間違いないだろう。もう一度見たい、幼いながらにひどく焦がれた。
雄英高校入学初日、自分より後に教室へ入ってきた女子生徒を見た瞬間。年を重ねるにつれ思い浮かべる回数こそ減っていったが、それでも記憶の片隅にいつもあったあのシーンが頭を過ぎる。こいつだ。何の根拠もないが、爆豪は確信した。席順を確認し横を通り過ぎる女子生徒の尻尾を目で追う。
「おはよう、私は
です これからよろしくね」
基本的に他人に興味がなく多くをモブと称し、クラスメイトだろうと個性どころか名前すら覚えることの少ない爆豪だったが、途中声をかけられ答える彼女の名は自然と耳に残った。それから担任が現れ入学式やガイダンスには参加せずクラス全員で個性を使った体力テストを行うことになり、第1種目の50m走で彼女がスタートラインに立つ。身体、手も足も人間のそれだが耳と尻尾はユキヒョウのものだ。変身するのかと思い凝視していたが結局そのままの姿で走っていた。自分の記憶に自信を持っているし、ユキヒョウの個性を持つ者がそうそういるとは思えない。しかし一応確認しておくか、と握力計測器を手に突っ立っている彼女に近づき声をかけたがタイミング悪く担任から次の種目へ移ると告げられたので最後まで言い切れなかった。本気で確認しようと思えばその時も、それからでも、できただろう。なのにどうにも、彼女を前にすると若干行動が鈍るのだった。爆豪の脳があの時のユキヒョウはこの
だと告げているし、まあいいかと思いだした頃。
「治癒の反動だね」
「はい」
「よく頑張ったね、後は病院とリカバリーガールに任せよう!」
「…はい」
焦がれたその姿が、目の前に現れた。訓練中に敵に襲撃され、重傷を負った先生をもう一つの治癒の個性で処置したという彼女はユキヒョウの姿で自分の近くにいる。爆豪の記憶、直感はやはり間違っていなかった。大きくなってはいるんだろうが、昔目にした彼には分かる。警察から事情聴取を受けるため一度教室に戻ることとなり歩き出す一同。豹に比べると太く短めの足でぽてぽてと進んでいく様子を遠慮なく観察している内に気付けば隣に並んでいた。
「ばくごうくん?」
「あ?」
「なにかあった?」
「別にねぇよ」
「そっか」
「……お前それ自分でなれるんか」
「うん?なれる ちゆしすぎたら、かってになっちゃう」
ユキヒョウの姿だと話しにくいのかゆっくり話している。思い出とは美化されている場合が多いが、どうだろう。光を受け崖を駆け登って行ったユキヒョウより美しいものはなかった。しかし身体が出来上がり記憶の中よりしなやかになったライン、近くで見るようになって知った艶やかな毛並み、人の姿の時と同じ真っ直ぐこちらに向けられる氷河が溶けたような色の瞳。どれを取っても美しさは増している。思い馳せるしかできなかった頃とは違い、言葉を交わし触れることもできるようになった今なら愛らしさすら感じる。こんなこと口にはしないし、出せないが正直可愛い。
「ばくごうくん、やっぱりつよいねえ」
「…ったりめェだろ」
「あたまもいいし、かっこいいし、にんきでる!」
「……」
「んっ?」
漠然とだが。トップを目指しているし自信もあるし誰にも負けるつもりはないが、彼女には敵わない気がした。